Missing



****1989****
 それは、まったくの偶然であまりにも衝撃的だった。
50m程離れた場所からでも彼女だという事は確かだった。
 僕はその偶然に立ちすくみそこから動く事も、目をそらす事さえも出来ずにいた。
 夜の静けさに包まれて心臓の波打つ音が、確実に流れる時の音とダブって彼女に届きやしないかと
緊張してしまう。   僕の視線に気づいたのか、彼女は一瞬驚きの顔を見せたが、直ぐうつむいて
軽く頭を下げた。 彼女は僕の知らない年上らしい男に肩を抱かれて僕の視界から姿を消してしまった。
 長かった髪の毛も、ラフで素朴な格好もそこには見当たらなかった。
 ただ、こんな日にこんな場所で、こんな形で二人が再会するなんて思っても見なかった。
 一年前の今日。僕達はこのさびれたヨットハーバーから別々に歩き出した。
冷たくも無く、溶けもしない雪に身を飾った街に僕らは離れ離れになった。
 僕と雪子との関係は、おととしの聖夜にはじまり、去年の聖夜に終わった。 そして今日。
その日からさらに一年経った聖夜、二人は”他人”というかたくなな形で再会ってしまった。
 僕は逃げるように自分の車にもぐりこみしばらく目を閉じた。 瞼という小さく深いスクリーンに
こぼれるほどの思いでが横切っては、消えた。

****1987〜1988****
 「有難うございました〜」
クリスマス直前の店内はどこか派手派手しくてあまり好きになれない。
何人もの客が夜中だろうが早朝だろうが、冷えた頬を両手でさすりながら店の中へ入ってくる。
 そんな中でブラウスとジーンズというラフな格好で入ってくる彼女は嫌でも目に付いた。
真冬の寒さを感じさせるなかで、彼女の周りだけ一足も二足も早く春が来ているようだった。
 「直ぐ近くだから・・・」
 僕が寒くないの?と聞くと彼女はそういってニッコリと笑った。ソレが僕と彼女が交わした
最初の言葉だった。いくら家が近いといっても彼女の頬はピンク色に紅潮し、つり銭を渡す時に
触れた手などまるで氷のように冷たい。    23時・・・・・・・。
 彼女はいつもこの時間に来て、ホットの缶コーヒーと出来合いの三角おにぎりを買って帰る。
5分足らずしか店内にいない彼女が僕は妙に気になった。 でも、いくら気になる客とはいえ
私的な会話は禁じられている。 まして僕はバイトの身分だ。目指していた大学にそっぽを
向かれ、仕方なくはじめたバイト先のコンビニエンスストアでこんなラッキーな出会いがあるとは
思っても見なかった。
 そして、その日から他の従業員の目をしのんで会話する事が一つの楽しみになった。
僕は言葉を交わすたびに彼女に惹かれていった。化粧っけのない素顔に薄く引いた赤いルージュ。
そこから飛び出す大人びた言葉は不思議な響きを含んでいて僕の心を捉えて離さなかった。
 「今度の土曜日でどう?」
 あの日から5日後、いつものように店に来た彼女にとうとうデートの誘いをした。
自分でも意外なほどサラッという事ができた。 そのときはまだ彼女に対して好奇心の方が強かったかも
しれない。
 「それとも、一緒に過ごす人がいるとか」
 無造作に並べられた雑誌たちを整理しながら何気なく彼女の態度を伺った。彼女はクスっと笑いながら
言った。
 「あなた、まだ私の名前も歳も知らないじゃない」
 「じゃあ、それは今度の土曜日二人っきりの時に聞くとしよう」
 彼女はまた一つクスっと笑っていった。
 「OK。」

 誰もいない、ところどころ地図のように錆付いた手すりの向こうに、灰色とも青とも言いがたい
海が何処までも果てしなく広がる。
 「夜だと綺麗なんだけどね」
 僕は車のドアを閉めながら、先に降りた彼女に言い訳した。 何年か前に友達と来た時には
こんなに寂れていなかったので、自分自身この荒れようには驚いた。
 「じゃぁ、ここでずっと夜がくるまで話してましょ」
 彼女はまっすぐに海を見詰めていった。 腰まで伸びた長い髪が風にさらわれゆらゆらと
揺れている。 僕は少しの間彫刻でも眺めるように彼女を見つめた。 彼女は何をおもってるのか
ずっと無言のまま海をみていた。心なしかその横顔は泣いているみたいだった。まるで
失恋したばかりの少女のような。
 「私の名前知りたい?」
 彼女は流れる髪を右手で抑えながらこっちに向き直っていった。僕は「うん。」とうなづいた。
 「じゃぁ、私を預かってくれる?」
 さっきの横顔とはぜんぜん違う笑顔で彼女は言った。
 「預かる?」
 「そう。預かってくれるんなら名前も歳も電話番号も、好きな色も嫌いな色も。
  全部教えてあげる。」
 「わかった。僕が君を預かったら、今日のクリスマスプレゼントもくれるって訳か」
 「・・・・・・それでもいいわね。
 僕がしばらく考え込むフリをすると彼女は余裕の笑みを見せた。
 「嫌だったら、別にいいんだから」
 「よし。 もらった」 ・・・・・・・僕は自分の着ていたロングコートに彼女を包んで、
最高のクリスマスプレゼントをてに入れた。
  ・・・・名前は?
 「森尾雪子。」
 ・・・・歳は? 
 「ききたい?」
 彼女はいたずらっぽく笑い、小首を傾げて僕を見た。「是非。」
 彼女はしょうがないという顔をして僕に言った。「二十一歳」
 「僕より二つ上だ。」
 「それじゃ、ダメかしら?」
 「とんでもない!」
 僕は彼女が年上だろうと、年下だろうと一切関係なかった。ただこれから先彼女・・・
雪子を独り占めできるという満足感でいっぱいだった。
 冷え冷えとした風は夜になっても収まらず、僕は雪子を乗せ車をだした。
 その日から二人は毎日のように会った。 雪子の会社の終わる時間と僕のバイトの始まる時間の
間にある二時間ほどの枠が、二人だけの時間になった。 その少ない枠の中で二人の心はだんだんと
近づいているようにおもえた。
 僕と雪子はワザと車に乗らず、知っている人の多い街を手をつないで歩いた。僕は友達に年上の彼女を
見せびらかしたかったし、雪子は雪子で年下と付き合っているということが友達の目に触れるという
スリルを楽しんでいるようだった。
 二人の性格もうまくかみ合っていたと思う。 雪子は僕と違って物事についてはっきりと意見した。
僕がちょっとでもいいかげんなことをすると、すぐ大学受験の失敗をもちだす。初めのうちはムカッと
きたけど、後で考えると雪子の言った事は納得できる。 むしろ僕にはそのほうが良かった。
母親も父親もまるでハレモノにでも触るかのように僕に接する。 何か厳しい一言が欲しかった。
次の階段への確かな手ごたえが欲しかった。あいまいでよそよそしい態度は返って気に障った。
 でも彼女は違う。彼女は心の中に積もってる言いたい事をストレートに僕にぶつけてくる。
 力いっぱい、僕に訴えてきた。幾つもの衝突があったが、いつのまにか僕にはソレを受け止めるだけの
力が備わっていた。 彼女は僕の安らぎになった。だから、あの日の態度はどうしても納得できなかった。
自分の中でウヤムヤガ雨雲のように黒く大きく拡がってきた。
 二人が付き合いはじめてあと一ヶ月ほどで一年。丁度寒さが身にしみてきつくなる頃だった。いつも
通り待ち合わせ場所についた僕は、ある重大なことを雪子に報告した。当然、雪子も喜んでくれるものと
思っていた。
 「専門・・・学校・・・?」
 「うん。びっくりさせようと思って今まで黙ってたんだ。ホラ、また落ちたとか言ったら
  カッコわるいだろ?」
 「・・・・・」
 僕の思惑とは裏腹に雪子はうつむいてしまった。どうしてだろう。僕にはさっぱり分からなかった。
 雪子はよく僕にこういっていた。
 『バイトばっかりしていていいの? もっと将来のことを考えなさいよ。今年は二十歳よ。』
 僕は僕なり真剣に悩んだ。悩んだ結果、大学への夢を捨ててコンピュータ関係の専門学校を選んだのだ。
 「あれ? おめでとうもナシ?」
 雪子は顔をあげると、たった一言「おめでとう」と言った。いつもの雪子とはぜんぜん違う
無口な雪子だった。言いたい事を無理やり飲み込んで、苦しそうに自我と闘っているようだった。
そのとき僕はことの重大さに全く気づいてなかった。ただ、雪子の沈んだ顔が頭の隅にちらついて
離れなかった。
 ところが、翌日からいつもの時間に雪子が店に姿を現さなくなった。デートの方も回数が減った。
たまに会っても話がギクシャクして、なんの面白みもなくジレンマだけが募った。あのスリルと
自慢のデートも雪子の方からやめようといいだした。 僕達はそのことで大喧嘩になった。
 そのとき初めて雪子の頬を叩いた。雪子は何も言わず目に涙をためて体を震わせているだけだった。
事実僕は、言いたい事をちゃんといわない雪子に腹を立てていた。
 そして、数週間後の12月24日。僕達の一周年ということもあって、あのヨットハーバーへ
二人ででかけた。サンサンと照る太陽の下、冷たく鋭い風がまるで二人の距離を測るみたいに吹いている。
 「もう、自信ないや。…こっから別々になろう」
 「…ごめんなさい」
 互いの目を見ずに告げたその言葉が別れの言葉だった。だけど二人でいてこんなに辛いのは嫌だった。
あえないときは寂しいが、会えば辛くなる。 そのとき僕は雪子の胸のうちなど全く理解していなかった。
雪子の心は曇りガラスの向こうにあった。

 「彼女、あんたと結婚したかったんじゃない?」
 数日後、僕と雪子の間を知っていた唯一のバイト仲間のキコちゃんに別れたことを告げた。
 「けっこん?」
 「そうそう。結婚。彼女丁度願望の強い時でしょ?そんな時にあんた”学生する”なんていっちゃうんだもん
 。学生じゃぁ食っていけんもんね」
 休憩中に出されたコーヒーをすするように飲みながら、キコちゃんは言った。
 「全然考えて無かったよ。彼女も一言も口にしなかったし。」
 「鈍いなぁ。あのね、女が将来のことを口に出したらピンとくるもんなの、普通は。彼女としては
 働いて一人前になって早く一緒になりましょう・・・って言いたかったのよ」
 キコちゃんの口調が急に激しくなった。でも、仕方ない。僕はまだ二十歳になったばかりで、
 結婚なんて雲の上のそのまた上のほうで全く見えていないという感覚しかない。
 そのときも今も、僕はまだ彼女を幸せにする自信がなかった。
 そんなウヤムヤな気持ちのまま僕は一年を過ごした。


****ONCE AGAIN 1989**** 

 『はい。森尾です。只今留守にしております。御用の方は・・・・』
 ほんの少ししかない勇気を振り絞って、まだ指先が覚えている雪子の部屋のTELナンバーの
タイルを押した。数コール後出たのは留守番用のクールなテープの声だった。
 僕は発信音を待って、夕べ徹夜して考えたメモを棒読みした。
 「29日、あのヨットハーバーで待ってます。」
 僕は言葉に詰まって慌てて『それじゃぁ』と付け加えて受話器を置いた。
 今日、僕にとって大きな出来事だった再会で忘れかた思いがまた頭をもたげて僕を脅かした。
 これは賭けだ。雪子の気持ちと、自分の気持ち。雪子のことは忘れているはずの心が
どう動くか。僕は内心雪子が姿をあらわさない事を祈っていた。なぜだか解らない。でも会えば、
また辛くなるだろう。そんな気がする。 古い傷口を押さえながら、もがき、苦しむだろう。
 雨のそぼ降るその日、僕は朝10時からあのヨットハーバーにいた。今、落ち着いて思い返すと
名前も時間も告げずにいた。胃がキリキリと痛み出し逃げ出したくなる。フロントガラスを濡らす
細かい雨粒の向こうに人影が映る度、心臓が大きく高鳴った。もう何度そんな思いをしただろう。
 当りは紫色に沈み、シクシクと泣いている空だけが僕の目に映っていた。
そして、ハイヒールの硬い音が僕の方へと近づいてきた。
 「久し振り。やっぱり君か。」
 雪子はブルーの大きな傘をさして運転席のガラスを叩いた。 僕はタバコの火を消して
反対側の大きな屋根のあるガレージへ行くように言った。雪子が小走りにそこへ行く。
僕も後を追うようにして走る。足が地面を踏んでいる感触がまるで無かった。こういうのを
”浮き足だっている”というのだろうか。雪子は傘を閉じて僕を手招きした。
 「どうしたの? ムスッとしちゃって。」
 「え?・・・別に」
 雪子の態度は意外なほど明るかった。どうしてそんなに明るく振舞えるのだろうか。
あの24日に再会した時は・・・・・・・。
 「この前は、びっくりしちゃった。一年ぶりだよね。私・・・私ね結婚するの。
 ホラ、23歳なんてもう適齢期でしょ?・・・この間一緒にいた人なの。」
 雪子は急に早口になった。そして顔色も変わり黙り込んでしまった。
 「なんで・・・なんで来たんだよ。今更ノコノコと。なんで笑っていられるんだよ!」
 突然僕が激しく怒り出すと、雪子はボロボロと大粒の涙を流しだした。真っ赤に充血した
瞳が何かを言おうとしてる。イラ立ちでこめかみがズキズキ痛む。
 「だって・・・会いたかったんだもん。会わない方が良かったのかも知れないけど、
 会いたかったんだもん」
 雪子は涙声でいった。取り乱した雪子を見るのは初めてだった。
 「じゃぁ、俺のとこにこいよ。あんなヤツ捨てて俺のとここいよ!」
 僕は雪子の細い両肩を力強くつかんで離さなかった。
 「なんでもっと早く連絡くれなかったの? もっと早く再会っていればよかったのに・・・。
 さっきの台詞、去年聞きたかった。私ね、ホントいうとあなたと一緒になりたかった。
 毎日毎日会う度好きな気持ちが大きくなって、自分ひとりで支えきれなくなって、一緒に
 支えてくれるかなぁって・・・でも、あなたはそっぽむいちゃった。両手引っ込めて
 私から離れていっちゃった。・・・辛かった。もう遅いの」
 自然に肩の力が抜けて、雪子の両肩をつかんでいた手がゆっくりと解けた。
 言葉に出来ないほどの絶望感が体中を駆け巡った。もっと早く勇気を出していれば
雪子は僕の所へ戻ってきただろうか。たったそれだけの時間に、人の心は左右されてしまうもの
だろうか。僕はあの日雪子を手離したことを今更ながらに後悔した。
 「あなたといる時、楽しかった。でも楽しいだけが切なかった。いえなかった・・・こんな気持ち。
 いつもハラハラしてドキドキして。安心・・・させて欲しかった。」
 雪子の声はだんだんと落ち着いてきた。そして少しづつ自分の心の中を僕に見せてくれた。
スリルと不安は背中あわせで、イコールで結べるものだった。僕はその不安をxとおいて、
その公式を解こうとしなかった。だけど切なかったのは僕も同じだ。彼女が年上ということで
僕なりに考えた。でもそれを雪子に言う事は出来なかった。雪子は失恋して直ぐ僕と付き合いはじめた。
ソレを知った僕は力の限り手を伸ばし、彼女を守り、包もうと思った。けど、結果的に精一杯のばした
手が結ばれることなく二人は終わってしまった。

 「・・・なにか寂しいね。」
 雪子は赤くなった鼻をすすりながら、また笑顔に戻った。頬に塗った淡いファンデーションの
上に涙の跡が一筋残っている。 空白の一年間で彼女は僕を置いて何歩も先を歩いて大人になっていた。
もう、僕の手の届かないところまで進んでいる。そして、さらに前に進もうとしている。
 僕に背を向けながら、雪子は何も言わず歩き出した。僕は立ち尽くしたまま、湿った空気を一つ吸って
そのまま目を閉じた。メトロノームのような雪子のハイヒールの音が遠ざかっていくのがわかる。
 僕は車に戻り、カーラジオをつけてフルスピードでヨットハーバーを後にした。
雑音混じりのカーラジオから、僕の心に穏やかな波が流れ込んできた・・・・。



★☆★☆★☆ THE END ★☆★☆★☆


***注意****             
この物語はフィクションです。登場する人物・場所・名称はあくまで
実在するものではありません。 作者の妄想のたまものです。
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